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張九齢、李白、そしてわたくし

更新日:2021年11月28日

日中双語blog 張九齡,李白,和我(附寄:緬懷故友)

4/21「荘魯迅マチネー」の準備に力を注ぐ毎日です。プログラムに「月のセレナーデ」を組み入れましたので、歌詞を紹介しておきましょう。


月のセレナーデ   荘魯迅作詞作曲


永い夜に 月の光が

水面に 閃いて

消えかけた夢の香りと

こんな時 あなたの瞳に

溢れる優しさ 恋しくて


遥かな海の向こうに

愛しい恋人よ

きっとあなたも そっと一人で

月を眺めてる 月を眺めてる

手を拡げて 独り踊ってみれば

あなたの吐息が 頬に触れてるようだ

光を浴びて いっそ夢の中で

あなたを抱きしめて


永い夜に 月がまどか

水面に 輝いて

過ぎ去りし日々の思いと

こんな時 あなたの心に

流れるため息 切なくて


綺麗な月の光を

手のひらに そっとのせて

遠いあなたに 歌ってあげたい

恋のセレナーデを 恋のセレナーデを

手を拡げて 影と戯れれば

あなたの吐息が 聞こえてくるようだ

光を浴びて いっそ夢の中で

あなたを抱きしめて


永い夜に 月がまどか

水面に 輝いて

過ぎ去りし日々の思いと

こんな時 あなたの心に

流れるため息 切なくて

綺麗な月の光を

手のひらに そっとのせて

遠いあなたに 歌ってあげたい

恋のセレナーデを 恋のセレナーデを

恋のセレナーデを


歌う度に、皆さんに紹介しております。この歌は「荘魯迅漢詩歌曲シリーズ」に入っていないものの、漢詩名作の脈動が聞こえてくるような曲です。唐代の詩人・張九齢の「望月懐遠」と、李白の「月下独酌」の詩心が詞に生きていると思います。

作曲の面では敢えていわゆるCHINA的要素を排し、われながら「ネオ 浪漫チズム」と名づけたわけです☺️。

練習のため新しい伴奏を組んだり、この曲を収録したシングルCDを聴いたりしているが、あの熱い日々の記憶が胸に浮かび上がってくる。

当時は「我愛長江 荘魯迅の友の会」が成立されて間もなく、会員の有志たちから制作資金が集まりました。そして幾度も相談選択した結果、音楽アレンジとレコーディングは長崎新司と藤村崇の両氏にお願いすることになったのです。

長崎新司さんほど、心優しく純粋な音楽家はいまだかつて知らない。どれほど心をくだいて「月のセレナーデ」のアレンジに取りかかったかは、初めて音源を聴かせていただいた時にわかったのだ。

それまでは、わたくしは自らの手で曲のアレンジをしてきた。ゆえに自分の作曲には、一定のオーケストラ的イメージができていた。むろん、新司さんにもそれを伝えたが、正直なところ、彼から聴かされたそれがわたくしの望んだもの、あるいは予想したものとは完全に違った。驚きと感激が交じり、ちょっと違うなあと思ったのと、それこそ自分の意表が突かれた新しい世界なのではないかという認識が胸中を去来した。そしてわたくしの口から出た言葉は、「すっごくいいですね」というのだったらしい。それを聴いた新司さんの両目から、涙がはらはら落ちた。その瞬間は、わたくしの心に永遠なる記憶となったのだ。ありがとう新司さん! その後も彼といくつか創作を共にした。とても楽しく過ごした時間も多かったが、音符一つのため睨み合って絶対に譲らないぞと叫び合う場面もあった。

しかし造化は非情、痛ましいことに新司さんは英年にして世を去られたのです。古人曰く、人生、一人とて知己を得難しと。ならば同業者より知己を得るはなお難し。ここまで書き及んで、気がついたらもう春暁のおとずれ、視線もすでに霞んできていた。

イヤホンでもう一回「月のセレナーデ」を……


張九齡,李白,和我

中日雙語blog


附寄:緬懷故友

連日來4/21「荘魯迅講演live」全力準備中。歌單裡有「月光小夜曲」,所以我想在此作個簡單介紹。自己的歌詞胡亂翻譯一下,請見諒哦。


月光小夜曲 荘魯迅詞曲


(大意)長夜漫漫,馥郁的記憶伴著月光閃爍水面。

此時你美目中欲滴的柔情,教我無比思念。

遠隔重洋,戀人啊今夜你和我一樣

正在靜靜地仰望月光。

張開雙臂,獨自起舞

只覺你芬芳的呼吸輕拂著我臉龐。

沐浴飛霜,今宵我們相擁在夢鄉。


長夜漫漫,淡去的記憶又伴著月光輝映水面。

此時掠過你胸中的輕嘆,教我無比掛念。

雙手輕輕捧起,美麗的月光送給遠方的你。

還有月光小夜曲,這是愛的旋律。

張開雙臂,與光影遊戲

彷彿已經聽見你芬芳的呼吸。

沐浴飛霜,今宵我們相擁在夢鄉。


這首「月光小夜曲」雖然沒有編入「荘魯迅漢詩歌曲系列」,但我想朋友們應該都會感受到古詩名作的脈動,感受到張九齡「望月懷遠」和李白「月下獨酌」之詩魂閃光。於是古人今人,便邂逅在萬變的世間神交於不變的情感。相信這種超時空的合作,會飄然走向未知。

再來談談作曲: 我在這裡不採用絲毫CHINA要素,反而「大言不慚」地宣告了「新浪漫主義歌曲」的誕生。當然只是輕輕地……。

為了反覆練習,我還從新製作了伴奏音樂,並把多年以前錄製的單曲CD拿出來借鑑。一瞬間,那個灼熱的記憶又浮上心頭。

當時「我愛長江/荘魯迅之友會」剛剛成立,知音者們為我籌備了充足的錄音資金。我欣然接受,然後心無旁騖地投入創作。經過入微的探討和選擇,樂曲編配和錄音決定交給相識不久的長崎新司和藤村崇兩位。

藤村兄暫且不提,溫和純粹如長崎兄者我至今不知。他為編配「月光小夜曲」付出了何等辛勞,我初次聽小樣時便瞭然於胸。

自從我東渡以後,一直處於獨立創作狀態。因此當我把「月光小夜曲」交給長崎兄時,已經是初具規模的樂隊總譜了。長崎兄聽了讚嘆不已,我有點飄飄然沾沾自喜。暗想:這次編配一定會達到我的預期。結果事與願違,我的預期遭到徹底「辜負」。初次試聽時

驚愕和感嘆在我心中激突,我很難描述剎那間充斥我腦海的是失望呢還是望外的喜悅。可是懵懂中已經聽到了從自己嘴中滑出的語言:「好極了!」

不知我心中的激突是否感染了他,長崎兄的雙眼湧出了大顆的淚滴。我們緊緊握手了。這一幕在我音樂生涯中成了永恆的記憶。

此後數年我們常在一起探討音樂創作,有非常愉快的合作也有為了一個音符爭吵不休的場面。可是痛哉造化無情,長崎新司十多年前便患病離開了人世。人生得一知己不易,在同行中得一互相補益的知己更難。寫到此處已是凌晨時分,疲憊中、心感到陣陣的痛、視線也早已被淚水沾溼。就此擱筆!

僅以此文緬懷難得的純樸音樂故友,並為他虔誠禱福。

用耳機聽一遍「月光小夜曲」再睡吧……

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