一難去らずしてまた一難。
人類がコロナの脅威に晒されている最中、戦争が始まった。
民主主義陣営はロシアを非難し、制裁を追加しようとしているが、それだけでは暴れ出した熊を食い止めることができない。制裁が効き始めた暁には、独立国家としてのウクライナはもう存在しなくなっているのだろう。
確かに制裁が発効すれば、ロシアの経済は大きく後退する。しかし実際に苦しむのは国民だけ。権力者どもにとってそんなことは何のその。やつらはせせら笑い、シャンパンとキャビアで「勝利」を祝いながらウクライナを囊中に納める、そんな醜悪極まりないシーンが目に見えてくるものだ。
記憶に新しい「プラハの春 1968」
ところで二、三日前はベラルーシとの合同軍事演習から撤兵しウクライナを侵攻しないと言ったのに、瞬きひとつせずにそれを反故にした。今度は侵攻するけど、占領はしないと嘯く。しかし制覇後に傀儡政権を立てたら占領とどう違うというのだ。
これをきっかけにかろうじて保たれて見えた世界の均衡が崩れ、今回は局部戦争に止まったとしても「模倣犯」が出て後続する武力衝突が相次ぐはず。平和主義者のわたくしは、この現状に強い憤慨を覚え世界の明日を憂えずにはいられない。
レーガンが生きていたら、何と言うのだろう……
空からミサイルが降ってきて、遠い昔日と思っていた鉄のカーテンが下りてくる。
ウクライナ。だれにとっても二度とない人生なのに。
少しは言論の自由が許されているロシア人であっても、明確な自分の言葉をもって話し、
抗議することが恐ろしいという。モスクワの市民の話。
戦争反対