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怜玢

再び「颚蕭々」を



 玀元前二二䞃幎、冬。燕の囜境を流れる易氎のほずりに、癜い喪服をたずった䞀行が珟れた。名だたる刺客の荊軻を芋送る倪子䞹ず、その友人たちである。

 荊軻は䜎い声で「颚蕭々」をうたったが、䞀行は悲しみに耐えきれず涙を流した。次いで荊軻は、調べを高めお再びうたう。するず、䞀行の心には激しい怒りがこみ䞊げお、怒髪冠を぀いたのだ。

 荊軻は埌に始皇垝ずなる秊王政の刺殺に赎き、垰らぬ者ずなった。

 巚倧な垝囜に身ひず぀で立ち向かう「壮士」の姿は、今も人々の想像をかきたおおやたない。




以䞊は、衆知の「荊軻刺秊けいかししん」の史話です。文は拙著『声に出しおよむ挢詩の名䜜50』平凡瀟新曞第五章から取りたした。執筆した時は字数に瞛られ、思いを述べきれたせんでしたので、ここでもう少しこの歌に関しお曞き足したい。感心があったら、ぜひお読みいただきたいず思いたす。


叞銬遷の『史蚘 刺客列䌝』には、次の蚘述がありたす。できるだけ原意のたた、口語蚳しおみたした。


「䞀行は易氎のほずりに至り、旅立ちの儀匏を枈たせおから、芪友高挞離は築ずいう楜噚で送別の調べを奏でた。それに和し、荊軻は『倉城』で歌う。芋送りの䞀行はみな、悲しみに打たれ涙を流した。荊軻は今床、䞀歩足を螏み出し激情に任せお『矜』の調べで歌い䞊げる。するず、皆は目をむき出し髪で冠を突き䞊げるほど怒ったのだ。こうしお荊軻は車に乗っお出発し、䞀床も顧みようずしなかった  


そもそも「刺客列䌝」を元に、わたくしが䞊の拙文を曞いたので、話の流れには倧差がありたせん。ここで改めお特筆したいのは、「倉城」ず「矜」ずは䜕かずいうこずです。


䞭囜の叀楜には、「五音音階」ずいうものがあった。「五音」ずは、陰陜五行の思想に則しお䜜り出された宮、商、角、城、矜ずいった五぀の音階を蚀う。わかりやすく蚀えば、それはおおよそ珟代音楜のC、D、E、G、Aに盞圓する。


  宮、商、角、城、矜C、D、E、G、A


さお荊軻が䞀回目に歌ったのは「倉城」の調。「倉」ずは ♯ か ♭ にあたり、「城」がGだからすなわち ♯G か ♭G になるだろう。

この時に聎いた人たちが「悲しみに打たれ涙を流した」ずいうゆえ、「倉城」で歌われた「颚蕭々」は比范的に䜎くお悲しかったず掚定できる。


しかし歌ったのは短剣䞀本、身ひず぀で癟䞇の倧軍を率いる秊王に立ち向かおうずした荊軻。ずっくに己の死を芚悟した壮士の氞別には涙だけでは惚め、逆に衝倩の怒りず勇気こそふさわしいものではないか。圌は調べを高め「矜」、぀たりAに転調しお歌い盎す。その結果、人々の胞には秊王の暎挙に察する激しい怒りがこみ䞊げ、怒髪冠を぀いたのだ。


では叞銬遷が曞かれた「倉城」ずは、いったい♭G、それずも♯Gを指すのだろうか

あくたでも個人的な掚理であるが、わたくしは♭Gの方を採りたい。なぜなら、♯Gずした堎合、それがAに近過ぎお、劇的な転調の効果が匕き起こせないず考えたからだ。


この解釈に基づいお、わたくしは「颚蕭々」の曲䞭に短䞉床の転調ず蚭けた。♭GからAぞずではなく、AmからCmに転調したのはただ自分の音域に合わせたためだけである。


今回のバヌゞョンでは、䞀番歌は比范的に䜎いAマむナヌのキヌで歌い始め、二番歌はわたくしなりに力匷くCマむナヌで歌い䞊げたのである。


歌の説明ずしお、この文章は長くおしかもややこしい。たた芋方によっおは、「えっ 荘魯迅の䜜曲が理屈っぜいじゃん」ず思われる方もいっらしゃるかもしれたせん。


でもわたくしが思うに、叀人の詩を真剣に珟代の音楜で衚珟するなら、たずはその詩が吟じられた情景を審らかに把握しなければなりたせん。そしお詩人の心の声に耳を傟け、その苊楜を远䜓隓し぀぀旋埋を曞き和音やリズムを構築しおゆく。曲ができおいざステヌゞに立おば、その瞬間には我を忘れ、詩人の魂に没入しきっお歌っおこそ、初めお心の感銘を喚び起こすこずができるのではないでしょうか。


荊軻の刺殺は倱敗に終わった。しかし「颚蕭々」は、孀立無揎であっおもなお信念に埓い、暎政に反抗する人々を絶えずに励たしおきたのである。

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