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デカルトと冬の太陽

更新日:2021年11月28日

非常時においてこそ、今一度デカルトの名言を自分に言い聞かせたい。

我思故我在。

我思う、我在

珍しく、日本語と漢語の語順がぴったり一致したところです。


その後の哲学界に大きな影響を与えただけに、それに関する解釈も諸説紛紜を呈してきた。

わたくしなりの理解、あるいは使いようは下の通りです。

唯有當我運用理性思考時,我才具有存在的真正意義。

理性的思考を用いて人生の何事かに臨んだ時にのみ、わたくしは初めて存在の意義を持つ。

言い換えれば、思考(それも理性的思考)こそが存在の意義を決めると言うのだ。

殊に人類が重大な危機に直面した今、「我思」を通して「我在」の価値を究めたい。その思考はもしくは疑念と苦悩に満ちているかもしれないが、感性的知識の不確定性を穿ち事物の真相を捉えることができる。

デカルトは41 歳に初の哲学書『方法序説』を刊行し、「良識(すなわち理性的思考)」は誰もが持ち得るものだというような主張を推し出している。あとはそれをいかに運用するか、運用するか否かが問題なのだ。人として世に生まれたものの、懐疑、思考、吶喊の権利を自ら放棄してしまえば、紛れもなく己の存在意義をも放棄したことになる。とすれば、SARSの十七年後にコロナウイルスが襲来したのと同様に、焚書坑儒、独尊儒術、科挙腐敗、文字獄および「十年浩劫(取り返しのつかぬ惨禍)」と定義された文化大革命は再び人間の世に襲いかかってくるに違いない。その恐ろしい足音が今すでに迫ってきている。

「冬の太陽」は、友人のリクエストを受け映像を編集してアップした歌です。80年代の初期か、上海音像出版社が刊行したわたくしの初のテープレコードに収められた一曲です。音作りも歌い方も幼稚で恥ずかしい限りですが、意外に中国ではネットで今なお聴かれているようです。少なくともそれは、希望と誇りをかけた改革開放の黄金期の記憶となってはいるのではないかと思われます。映像に使った写真はすべてわたくしの胸底に深く刻まれたもので、わたくしはそこで成長し文革では深く傷つき、そして歌や詩に癒されどうにかその翼に乗って飛び立ったのです。よかったらぜひご覧ください。



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