重陽の日には、古来の慣わしにしたがって高いところに登りましょう。
可能なら、菊の花びらを酒に浮かべ飲みながら過ごしたいものです。
更に欲を言えば、茱萸(しゅゆ・日本では呉茱萸と)を肘につけたり髪に挿したりして一年間の厄払いをしておきたいとも思います。
しかし都会暮らしをしていると、これらをすべてこなすのは少々難しいかもしれません。ならば、せめて中の一件だけでもやり遂げたいですね。
わたくしなら近くの西山に登り、夕陽に向かっては盃を傾けながら大切な人々の健康と幸せを祈るのでしょう。
そんなことを思いつつ、今日の漢詩講義で取り上げたのは李白の「九日、龍山に飲む」(五言絶句)と杜牧の「九日、斉山に登高す」(七言律詩)という二作です。二つとも重陽の節句を詠んだ傑作ではありますが、殊に李白の「龍山に飲む」が宝応元年、つまり西暦762年の重陽に詠まれただけに、われわれはその淡々たる表現から強い衝撃を受けずにはいられません。その二か月後、李白は六十二歳で世を去っているのです。
命の炎が燃え尽きようとする人生最後の重陽、その日に詠まれた五言絶句。
紅白粉がすべて洗い落とされ、一文字一文字の隙間から見えてきたのは、ありのままの詩魂そのものよ。感動せずにはいられますでしょうか!

今日の板書
友人のご指摘を受けて気がついたことですが、10月6日に更新したblogに掲載した歌の動画がなんと無音であったのです。友人に深く感謝しつつ、あるまじきミスを猛省し二度と犯さぬよう誓います。
下に新たなURLを埋め込みましたので、今回だけはゆるしてやろうという寛恕心をもってぜひご視聴ください。お願いします!
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