敗北のあとに残るもの――ノルウェーのヴァイキング船を見ながら
- 荘魯迅

- 3 日前
- 読了時間: 5分
忘れがたい一本の動画を、ここに紹介したい。
ノルウェー代表は試合に敗れた。
だが、スタンドのサポーターたちは、怒りにも、嘆きにも沈まなかった。
彼らはなお歌い、雄々しい「ヴァイキング・クラップ」を響かせ、やがて笑顔のままヴァイキング船を漕ぎながら、選手たちへの敬意と愛情を胸いっぱいに載せて、帰途についた。
ネット上には、こんな言葉があった。
「ノルウェーはサッカーには敗れたが、世界の称賛を勝ち得た。」
まことに、その通りであろう。
その光景を眺めながら、わたくしの思いは、いつしか遠くへと誘われていった。
周知のように、ノーベル賞の授賞式は、平和賞を除いてすべてスウェーデンの首都ストックホルムで行われる。
ただ一つ、平和賞のみが、ノルウェーの首都オスロで授与される。
アルフレッド・ノーベルは遺言の中で、平和賞の選考を、ノルウェー議会によって選ばれる五人の委員に託した。
しかし、なぜノルウェーであったのか。
その理由を、ノーベル自身は明らかにしていない。
なぜ、よりによってノルウェーだったのか。
今なお、確かな答えはない。
あるいは、スウェーデン人であったアルフレッド・ノーベルは、この隣国に対して、何か特別な期待と信頼、さらには共感にも似たものを抱いていたのであろうか。
あるいは、ノルウェーの議会的伝統と政治文化のうちに、平和という理念により近い何ものかを見ていたのであろうか。
もちろん、これは推測にすぎない。
十年前になるか、北欧四国を漫遊した折、わたくしは確かにオスロという町に、どこか尋常ならざる、しかも静謐な「平和の気配」を感じたことがある。
それがどこから来るものなのか、当時のわたくしには、うまく言葉にすることができなかった。
あるいは、ことさらに威容を誇ろうとしない都市の規模から来たのかもしれない。
人を圧することなく、どこか親しみを湛えた建築の佇まいからであったかもしれない。
市民生活の、ゆるやかで節度ある歩調からであったかもしれない。
あるいはまた、人と自然とが互いを侵すことなく、ほどよい距離を保ちながら寄り添っている、その有り様からであったのかもしれない。
いずれにせよ、そこには大声で「平和」を唱えるのではない、もっと深く、もっと静かな何かがあった。
そして今、サッカー場のノルウェーの選手たちを見る。
勇猛でありながら粗暴ではない。
友好的でありながら、媚びることがない。
純真であり、しかも従容としている。
さらに、敗北が決まったのちも、なお自らの選手たちに歌声と歓呼と愛情を惜しみなく注ぐサポーターたちを見る。
その時、十年前にオスロの街角でわたくしが朧げに感じ取っていたものが、ふいに一つの形を得たように思われた。
一つの民族が、本当に平和というものを知っているかどうか。
それは、勝利の時にどのように歓呼するかだけでは分からない。
むしろ、敗北の時に、どのように身を処するか。
そこにこそ、その人の教養が現れ、また一つの民族の精神が映し出されるのではあるまいか。
勝利は、人を寛大に見せることがある。
しかし敗北は、しばしば、その人の奥底にあるものを露わにする。
動画のコメント欄には、ノルウェーの選手とサポーターたちの品位を称える言葉が数多く寄せられていた。
わたくしも、深く同感する。
しかし、一つの民族の文明や教養というものは、今日の制度や教育、あるいは経済的な豊かさによって、にわかに生まれるものではない。
それは、長い歴史のなかで、一層一層また一層と積み重ねられてきたものである。
戦争と敗北。
連合と独立。
地理と宗教。
航海と交易。
そして、隣国との長く複雑な緊張。
それらのすべてが、一つの民族の性格に、見えぬ痕跡を刻みつけてゆく。
だが、さらに大切なのは、その民族が、自らの歴史を絶えず省みる意志を持ち得るかどうかであろう。
過ちを過ちとして見つめること。
必要とあらば、自らを改めること。
力を持つがゆえに、その力を抑制すること。
そして、自分とは異なる他者の存在を、存在するものとして尊重すること。
文明とは、おそらく、単に力を得ることではない。
力を持ちながら、その力の使い方を学ぶこと。
そこに、文明の一つの尺度があるのではないだろうか。
今日のノルウェー人が見せる友愛と純真、そしてあの静かな従容は、近代以来、議会政治を重んじ、国際仲裁と平和的協議を尊んできた歴史と、どこか遠くで響き合っているのかもしれない。
しかし、わたくしにとって、何より雄弁な証しは、歴史書の頁の中にあるのではない。
大仰な理念や標語の中にあるのでもない。
それはあの、笑い声とともに帰途へ向かった一艘のヴァイキング船の上にある。
かつてヴァイキングたちは、船を駆って海へ出た。
遠き地を征服するために。
そして今、現代のノルウェー人たちは、試合に敗れた夜、同じヴァイキング船を漕ぎながら、静かにスタジアムをあとにしてゆく。
まるで世界に、こう告げるかのように。
わたしたちは、一つの試合に敗れることはある。
しかし、尊厳まで失う必要はない。
敗北を受け入れることはある。
しかし、失望を憎しみに変える必要はない。
そう思う時、ノルウェーという国が、ノーベル平和賞の地であることに、わたくしは深い感慨を覚える。
勝者だけが、世界を美しくするのではない。
敗れた者が、なお他者を憎まず、なお笑顔を失わず、なお自らの尊厳を保って帰ってゆく時――
そこにもまた、平和というものの、静かな姿がある。
ノルウェーよ、どうか、いつまでもそのままで🇳🇴





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