百年の時を越えた「さようなら」――徐志摩が求めてやまぬ、愛と自由
大学の「中国文学との対話」第四回講義は、「現代詩の誕生」を主題に、二十世紀中国の詩壇に新風を吹き込んだ徐志摩(1897―1931)を取り上げた。
一九二四年、インドの詩聖タゴールの来日に随行した徐志摩は、渋沢栄一が主催した茶話会にも列席している。
帰国後、彼は日本への親愛と讃美を込めた作品を発表する。その中に「沙揚娜拉――贈日本女郎」、すなわち「さようなら――日本の若い女性に贈る」という短詩があった。
わずか五行。
一人の日本女性が別れ際にうつむく。その慎ましい仕草は、涼風に揺れる一輪の蓮の花にも似ている。そして、幾度も交わされる「お元気で」という言葉。その声には、蜜のように甘い切なさが宿っている。
詩は「沙揚娜拉!」という一声で終わる。
何という繊細な感受性だろうか。
しかし、この甘美な詩を書いた徐志摩を、恋愛詩人として片づけては勿体な過ぎる。
翌一九二五年、彼は念願の欧州漫遊を実現した。その旅は、かつて英国で学んだ自由主義の精神と美学を再確認する機会であるとともに、彼の思想に一つの決定的な転機をもたらしたのだ。
折しも、ロシア革命の余波は世界を揺るがし、共産主義という新しい理想が、多くの知識人を魅了していた。
徐志摩もまた、その現実を自らの目で確かめることになった。
モスクワで彼が見たものは、約束された理想郷とはほど遠い。個人を圧する政治権力、思想を統制する党の権威、そして人々の自由を奪う新しい絶対主義。
帰国後、彼は『欧遊漫録』において、ソ連の体制を鋭く批判した。
その中に、今日なお背筋を寒くさせる一節がある。
彼らは、天国が実在し、実現可能だと信じている。しかし、現世とその天国との間には、血に汚れた海が横たわっている。人類はその血の海を泳ぎ渡って初めて、彼岸へたどり着ける。そして彼らは、まずその血の海を実現することにした。
何という透徹した洞察であろうか。
理想実現を掲げながら、そのために人間の自由を奪い、生命を犠牲にする。人類の幸福を約束する者が、まず人類に血を流させようとする。
徐志摩は、その恐るべき逆説を、革命の熱狂がなお世界を覆っていた時代に、すでに見抜いていたのである。
彼の生涯は、恋と詩に翻弄された短い歳月であった。しかし、その根底を流れていたものは、決して気まぐれな情熱ではなかった。
先輩の胡適は、徐志摩の人生観を「単純信仰」と呼んだ。
愛、自由、美。
この三つの理想が一つの人生において結ばれること。それこそが徐志摩の夢であり、彼の生涯とはただその夢を追い求めた歴史であった、と胡適は語っている。
思えば、あの「沙揚娜拉」にも、その信仰が息づいている。
愛するがゆえの切なさ。
美しいがゆえの儚さ。
そして、別れを惜しみながらも、相手を引き留めようとはしない自由。
英米に学び、西洋の美学を身につけた徐志摩が、東洋の一人の女性のうつむく姿に見出したもの。それは単なる異国趣味ではなく、人間の優しさと美しさへの讃歌であったのだ。
講義では、今年のノーベル文学賞を受賞したカナダの詩人、アン・カーソンにも話が及んだ。
わたくしはまだその著作に親しむ機会を得ず、報道からその文学の一端を窺い知るにとどまっている。だが、神話と現実を往還し、詩と物語の境界を越えようとする彼女の創作のありように、なぜか徐志摩の苦悩に満ちた恋の遍歴が思い浮かんだ。
時代も国も、文学の形式も異なる。
それでもなお、
人は愛に傷つき、美に憧れ、自由を求めてやまぬ。
その営みは、百年を経ても変わらないのであろう。
やがて、講義も終わりに近づいた。
最後にわたくしは、徐志摩が生涯追い求めた「愛、自由、美」という三つの理想が、
別れの一瞬に、一人の女性のうつむく姿と、
一声の「さようなら」の中に結晶したことを語った。
そして、あの五行の詩を、もう一度朗読したのだ。
「最是那一低頭的温柔……」
一行、また一行。
詩人が百年前に見つめた女性の姿が、言葉の向こうに浮かび上がる。
「那一聲珍重裡有蜜甜的憂愁――」
そして、最後の一声。
沙揚娜拉!
その朗読を終えた時、ちょうど終業の鐘が鳴った。
続いて、教室に拍手が響いた。
偶然のことであった。けれども、あまりにも見事な偶然であった。
百年前、一人の中国詩人が日本の女性に贈った別れの言葉。それが今、別の時代の日本の教室で、再び小さな感動を呼び起こしたのであろうか。
長年、文学を講じてきたわたくしにとって、忘れ難い一瞬となった。





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