友よ、いつかは必ずトクマークへ
- 荘魯迅

- 8月7日
- 読了時間: 3分

十八年ぶりの再会と、李白の砕葉への旅
約束の日であった。
JR御徒町駅で下車し、上野の上海料理店「再来宴」に着いたのは、午後六時を少し回ったころである。
女将のみゆきさんが、二階の個室へ案内してくださった。コロナ禍以来の再会であったので、まず会えたことだけでもうれしかった。
しばらくすると、南部さんご夫妻が姿を見せた。
十八年ぶりの再会である。南部さんは、昔より一回り大きくなられたように見えた。もちろん、それは体格のことだけではない。長い歳月をそれぞれの場所で生き抜いてきた人間だけが持つ、落ち着きと厚みのようなものが、そこにあった。
うれしさのあまり、抱擁は必須だ。
奥様を紹介していただき、早速席についた。飲み物はビールと紹興酒を頼み、料理はみゆきさんにお任せした。それでもみゆきさんは丁寧にこちらの希望を聞いてくださり、上海料理が珍しいという南部さんご夫妻に、いくつかの料理を薦めてくださった。
料理はどれも美味しく、南部さんご夫妻にもたいへん喜んでいただけたようだ。
杯を重ねるうちに、話題は自然と多岐にわたった。けれども、やはり中心にあったのはこの十八年間、互いにどのような道を歩んできたかということである。
紹興酒もたけなわとなったころ、いよいよその言葉が口をついて出た。
「僕が生きている間に、もう一回、南部さんと組みたいね!」
わたくしがそう言うと、南部さんはすかさず答えた。
「ならば、ぜひトクマークに行くべきですね」
その一言を聞いた瞬間、鳥肌が総立ちしさまざまな思いが胸中を駆け巡った。
二〇〇七年一月、拙著『李白と杜甫 漂泊の生涯』が大修館書店より刊行された。同年九月には、早速、二十一世紀旅行観光社と組み、学習と考察を兼ねて、蜀の地を中心にめぐる旅を実行した。
わたくしが講師を務め、案内役として現地の添乗員たちとの折衝を一手に担ってくださったのが、ほかならぬ南部さんであった。
その仕事ぶりは、まさに「お見事」の一言に尽きた。
若く、色白で、颯爽としていた。しかも人当たりが柔らかく、相手の話をよく聴いてくださる。二十名ほどの参加者は、あっという間に彼の大ファンになった。
感動に満ちた旅であった。
ただし、拙著における李白像には、蜀だけでは語り尽くせない一つの大きな問題があった。李白は蜀の昌隆、すなわち現在の四川省江油あたりで生まれたものの、まもなく一家は赤子を抱いて西へと亡命せざるを得なかった。そして一歳から五歳までの時期を、遠く西域の砕葉で過ごすことになる。これは、わたくしが拙著の中で提示した推理に基づく設定である。
砕葉城は、現在のキルギス共和国のトクマークにあたる。カザフスタンと隣接する国境近くの町である。唐の初期、砕葉は安西都護府の管轄下に置かれ、「素葉」とも書かれていた。
「蜀にある李白ゆかりの地は、今回の旅でかなり踏破しました。いつかはぜひ皆さんとともに、李白の幼き日の地である砕葉へ行きたいと思います」
二〇〇七年九月、その旅の途中で、わたくしが熱く語ったことを、今なお鮮明に覚えている。
南部さんの「ならば、ぜひトクマークだ」という言葉は、まさにその共通の記憶から生まれたものであった。
「ぜひ行きましょうね」
そう言うと、奥様も満面の笑みで、
「私も参加します」
と言ってくださった。
十八年ぶりの再会は、まさしく感無量であった。
南部さんご夫妻は、明日にはもうウズベキスタンへ帰られる。これ以上お引き留めするわけにはいかない。名残は尽きなかったが、京成電鉄の駅前で、ふたたび抱擁を交わし、「また会おうね」と別れを告げた。
友よ、ありがとう。
十八年という歳月は、決して短くない。けれども、一杯の紹興酒と一つの言葉があれば、時間はふたたび流れ出す。
いつかは必ず、トクマークへ!





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